磯田道史氏の顔を見ない日はないほど 彼方此方で大活躍の日々を送られているようです
著作も多く出版されています
15歳から古文書を読み始めたという少年時代から駆け足で走り続けている印象を受けますこの作品は 読売新聞に連載された随筆のような内容です
173頁に 慶応4年1月15日付 西郷隆盛が岡山藩家老十倉修理助に宛てた書簡の話が載っています鳥羽伏見の戦いの直後 神戸事件として知られる岡山藩兵とフランス軍の衝突から 日本で初めて外国軍隊が神戸市街を占領する事態となったときの話です磯田氏は岡山の出身 藩兵の中に磯田氏の遠縁にあたる高山紀斉が加わっていたそうな事件は伊藤俊輔(博文)が折衝に加わり 岡山藩兵を率いていた滝善三郎が2月9日切腹をして決着に向かいますが 滝が切腹のために本堂を借りた薩摩藩本部となっていた永福寺は 私の母の実家の菩提寺です 神戸事件の起きたのは 神戸大丸前にある三宮神社付近で 現在も事件の碑が境内に立っています