天皇(すめらみこと)という言葉は 第40代天武の時に 新たに作られました 従って 第26代継体の時代には大王(おおきみ)と呼ばれていたことは間違いありません
第25代武烈に子がなく 応神天皇五世の継体が 大連大伴金村に請われ 近江の地から招かれ第26代として即位します
即位後19年間 大和の地に入ることなく転々とし 58歳の時に漸く大和に都を開き6年後息子の安閑に譲位 譲位のその日に崩御という不思議な記録が残ります
第二十五代武烈が崩御し 其の血筋が絶えたとき 応神五世の子孫 継体が何度も固辞の後に大王として即位 しかもその後20年近く大和の地には入らずに 王宮を転々と彷徨うように移ります百済の武寧王と深いかかわりを持ち 在位中に任那四郡を割譲 明らかな反乱である磐井の乱があり 継体の死後 その子供たちの即位を経て継体王朝は絶えてしまう葛城一族から出た蘇我氏や大伴他の大和の東地区に勢力を張っていた諸豪族の支持により即位した継体王朝は まだまだ不明な点が多く今後の研究が待たれます何冊か辿っては見ましたが謎が深まるばかりでした