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ラピスラズリブルー

古代史謎解き紀行

関裕二氏は ウィキペディアに歴史評論家と紹介されています 研究者としての専門的な教育は受けておらず 全くの独学で独自の歴史論を展開しています

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些か異端であるように感じていたのですが 私が師事する山口拓さんは「私は関裕二の書いていることは真面だと思える 寧ろ井沢元彦の方が異端 歴史を学ぶものは井沢元彦だけは読んではいけない本だと思っている」とお話になられていました 
改めて 関氏の代表作を読んでみました
出雲と大和の関係は 幾ら学んでも理解出来ずにいましたが 彼の見方にはとても賛同できます 少しすっきりしました
歴史を考えるには 発想力が必要と云うことなのでしょう

敢えて一つだけ 苦言を呈するとすれば 彼は旅先で食べた料理が期待外れだったときに 可成り酷評しています
些か営業妨害になるかもしれません 料理は常に完全なものを出すことが難しく 更には本人の体調も影響してくる(腹一杯の時に何を食べても美味しくはない)ので
影響力のある方が料理を批判することには違和感を感じます

少し長くなりますが 気になった部分を書き出してみました

長屋王は 天武天皇の長男 高市皇子の長男 
中大兄皇子と中臣鎌足は百済系反蘇我であり 天武は蘇我の源流である葛城系に支えられ壬申の乱を勝利する
長屋王は 藤原氏に対抗する天武系皇統として 不比等の子供達である藤原4兄弟の陰謀により 自死に追い込まれる

聖武天皇は 息子基皇子が亡くなったのは長屋王の呪詛と考え 長屋王を追討するが後に藤原氏の陰謀であることに気付き 藤原氏から離反していく

藤原広嗣の乱の後 6年間不可解な行幸(壬申の乱の折の大海人皇子の逃避行と同じ経路)を重ね 藤原氏の城でもある興福寺の真裏に東大寺を建て 藤原氏との離間を試みる
聖武の母 宮子は藤原氏の出ではあるが その母は蘇我氏の出身である葛城の加茂氏
長屋王の変の後 藤原氏は法隆寺(蘇我系の聖徳太子を祀る寺)への帰依を深めている
怨霊による祟りと云う思想は奈良朝末から平安初期に成立するが 祟りと云う考え方は
奈良時代に既に成立していたと考えられる

桓武天皇は 親藤原天智系の出身であり 親蘇我天武系の寺である東大寺の影響を避けて
平安京へと遷都したと考える

著者は 中臣鎌足は百済王朝の遺児 豊璋であると推定する
豊璋が百済に戻り 百済王朝復活に努力する間 中臣鎌足は日本史から姿を消しており クーデターが失敗し豊璋が行方不明になると鎌足は再び姿を現す
天智が 百済支援のため大量の兵を百済に送り 白村江の戦いに大敗するのも 鎌足の影響ではないか
蘇我氏は 親新羅の立場にあり 乙巳の変(大化の改新)は 蘇我氏を追い落とすクーデターであったのではないか

大和の地には 初めに出雲系の大物主の一族が居り 吉備出身物部系の饒速日(ニギハヤヒ)が次いで現れる 最後に神武系の大和族が侵入してくる

出雲

武蔵一之宮 氷川神社の名はスサノオの住まいのあった出雲の「簸川(ひかわ)」から取られている
武蔵国府の中心に鎮座する総社・大國魂神社が祀る大國魂大神とはオオナムチの別名 神社の創立は第十二代景行天皇の時代にさかのぼり大國魂大神の託宣による

出雲臣の末裔が武蔵のみならず幾つかの国の国造に任命され 出雲神を祀ったと思われる
出雲の国譲りの直前 出雲でオオナムチの目の前にオオナムチ自身の和魂(ニギミタマ)が出現し「ヤマトに移りたい」と要求してきた

出雲の国譲りの時 オオナムチは自らの和魂を八咫鏡に取り付けて大神(三輪山)の神奈備に オオナムチの子のあぢすきたかひこねの御魂を葛城の鴨の神奈備に コトシロヌシの御魂を雲梯(うなて 橿原市)に かやなるみの命の御魂を飛鳥の神奈備に夫々皇孫の命の近き守り神として奉った そしてオオナムチは杵築の宮(出雲大社)に鎮座した
(出雲国造神賀詞より 出雲国造が新任後一年の潔斎を経て朝廷に赴き奏上する)

神武天皇は正妃に出雲神コトシロヌシの娘を選び 二代三代の天皇もコトシロヌシの血縁を正妃に貰い受けている
(これは 天皇家が出雲神を無視出来なかったことを意味すると考えられる)

明治政府が採った「強く絶対的な天皇」という図式自体 キリスト教的な(絶対神)発想から来ているのであって 多神教的発想から生み出された天皇の意味を曲解悪用してきた

日本人にとっての本来の現人神とは「御杖代」神の御霊を継承した(憑依した)者と云う意味なのである

弥生後期時代 山陰地方は四隅突出型墳丘墓が盛行し繁栄の時期を迎えるが 大和に新たな政権が生まれ 三世紀後半 前方後円墳が大和を中心に作られる頃に 山陰は急速に衰退していく
出雲の国譲りの神話は その頃の事情を反映しているのではないか

大和建国迄 大和地方に鉄製品は殆どなく 北九州が他を圧倒して独占する形となっている

三世紀後半から四世紀前半 出雲や物部がまず大和に舞い降り大和を造成 吉備 東海(尾張)北陸(越)が参集 最後に九州の神武が東征し大和が完成したのではないか

門脇禎二氏は 飛鳥の地名は本来接頭語の「ア」に「スガ」が結びつい「ア+スガ」であり 地名の「スガ」は 湿地帯を意味すると指摘している
近年の発掘で 飛鳥は水の都であったことが次第に明らかになってきている

出雲大社本殿の北側に摂社があり 素鵞社(そがのやしろ)という 近くを素鵞川が流れている 此処はスサノオが居を構えたところでもある




日本は 古来太陽信仰であり 天照も太陽神であった この当時は太陽の回る軌道である東西が重視され 奈良桜井の三輪山も 東に向かって拝礼する
天武は 道教を重んじ 北極星を崇拝する 天皇という称号も北極星に由来する
此の為 東西の道を重んじる日本古来の信仰から 南北を重視する考え方に大きな転換が行われている 藤原京の真南に 天武・持統陵が設けられたのも 此の為と思われる




by toshi-ohyama | 2019-02-08 06:29 | 幕張図書館 | Comments(0)
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