千田 稔氏は 元々奈良県のご出身 現在も奈良で研究を続けられておられます
私も 若き日に奈良の魅力に取り憑かれ 山野辺の道を何度も歩き回りました大化の改新が 何時頃からか乙巳の変と呼ばれるようになり 中大兄-中臣鎌足による 蘇我氏を倒すクーデターであったことが明らかになってきました関連書籍を読み進むうちに 日本古代の歴史が生々しい権力争いの中で血の闘争が繰り広げられてきたことを知りました企業人として 会社を二分する様な権力闘争の渦に巻き込まれた経験もあり 歴史を学ぶことが とても息苦しく感じられることも経験しています
企業人を卒業したら 思う存分 古都を歩き回り歴史認識を深めたいと思っていたのですが 諸事情により今は 読書の中で古都を巡る程度でお茶を濁しています
以下は この本で新たに認識したこと
日本は 古来太陽信仰であり 天照も太陽神であった この当時は太陽の回る軌道である東西が重視され 奈良桜井の三輪山も 東に向かって拝礼する天武は 道教を重んじ 北極星を崇拝する 天皇という称号も北極星に由来する此の為 東西の道を重んじる日本古来の信仰から 南北を重視する考え方に大きな転換が行われている 藤原京の真南に 天武・持統陵が設けられたのも 此の為と思われる