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関裕二氏の著作は
同じ斉明天王の息子であるが 天智の父は舒明天皇 天武の父は蘇我系の高向王(たかむくのおおきみ)蘇我氏は全方位外交(むしろ新羅寄り) 天智は百済寄り 藤原鎌足は 百済王 豊璋(ほうしょう)と同一人物 鎌足の出生から大化の改新直前までの足跡が不明白村江の戦いの直前 豊璋は百済に送り返されるが 彼が日本に不在の時期 藤原鎌足の消息も完全に消えてしまう 百済を助けるために中大兄皇子は蘇我氏を倒し 百済救済に動く天武は壬申の乱に勝利して 新羅との国交を復活させるが 天武が崩御すると 跡を継いだ持統帝は新羅を無視し百済の遺臣たちを重用し藤原鎌足の息子不比等との関係が強くなる 更には皇統は天武系から一転 光仁帝から天智系に移り現在まで続く一貫した関氏の推論は 説得力があります 歴史家としての教育は全く受けず 独学で此処まで来られたことに称賛を贈ります
by toshi-ohyama
| 2020-02-16 06:35
| 幕張図書館
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