何度も挫折して 途中で投げ出したままになっていた一冊

日本史の中で 擾乱という言葉が使われるのは この足利尊氏と直義の争いのみです
明らかに国政の方針の違いがあるにもかかわらず 兄弟喧嘩という位置づけにされてしまいます
途中 和解があったり 尊氏-直冬親子の対立等もあり 複雑な展開を見せます
一番の注目は 高師直の存在です 足利家の執事という立場にあったようですが 武士としての戦績も挙げながら 実に有能な文官として活躍しています
後醍醐新政という国家機能も不充分に天皇自らが国家運営を担おうとする無謀な情勢が絡み 兄弟の確執が続きます
尊氏は 鎌倉以前の朝廷との親和政策を執り 後醍醐への反逆は全く考えていなかったように感じます
直義は 鎌倉期の執権政治を目指し寺社勢力との融和も図ろうとする政党保守派のようにも見えます
誠に面白き歴史徘徊を愉しみました