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ラピスラズリブルー

持統天皇 壬申の乱の真の勝者

著者の瀧浪貞子は 1947年生まれ 一度だけTV番組で拝見した記憶がありますが 余りマスコミには登場しません

持統天皇 壬申の乱の真の勝者_d0338347_15205095.jpg

著者は京都女子大院卒 京都女子大学が私学であることは 存じていましたが 今回検索して 西本願寺の設立であることを知りました
卒業生には 土井たか子 山崎豊子 幸田真音 河野裕子等 錚々たる方達が名を連ねます

本作は2019年10月刊ですので 比較的新しい研究成果が連なります
持統天皇については 壬申の乱以前の資料が少ないことから研究は 難しいようです
今回新たに学んだことに 日本書紀の記述は後漢書等中国の史書が多く引用されていることを学びました 天武朝の頃 律令制を含め中央集権国家建設に多くの渡来人が参画していることの証でもあります

壬申の乱勃発時 大海人と鸕野は 吉野を脱出 朝明郡迹太川で天照太神を望拝と 書記に記述がありますが この地点から伊勢は南にあり伊勢神宮がこの時点でアマテラスとの関わりは不明 従って大海人は 東の太陽を遥拝したと考えられます 即ちこの時点での天照太神は 太陽神 男性神と考えられます

藤原不比等は 高市太政大臣(天武の長男)の死去した辺りから突然登場します
中臣一族は 乙巳の変の折り 中大兄と結んだ鎌足から興隆が始まりますが 大津王朝で中臣連金(かね)が右大臣に登用され大友王子を支え 壬申の乱で処刑され没落します
持統の即位の折 神祇伯中臣大嶋が天つ神寿詞を読み上げており 持統と中臣一族が手を結んでいたことが判ります
持統の母 遠智娘と 藤原不比等の先妻 娼子は 共に蘇我倉麻呂の孫で従妹同士 天智により石川麻呂が殺されたことで 天智は蘇我一族の仇との共感を持っていたと思われます

興福寺の仏頭は 石川麻呂の建てた山田寺の本尊と判明していますが 天智により破却された山田寺を天武が復興し 仏頭も天武が新たに配置した本尊であったとのこと

持統が9年間で31回行幸した吉野宮は 金峯山寺の東方3km 吉野川宮滝にありました 斉明女王が建て 息子である天武には自らが斉明の直系正統であることの証となる場所でもあったようです

近年 壬申の乱の発端が 大友の朝鮮再出兵政策にあったとの最近の説は採りません
持統の伊勢神宮整備 式年遷宮等の事績については 殆ど触れていません
日本書紀の研究が進み 古代王朝の歴史が解明されていくと 天皇家の位置付けが今後大きく変わっていく可能性も否定出来ません
此の作品で 瀧浪さんは 明確に 文武天皇は女系天皇と位置付けています もっと話題になってもおかしくは無いように思いますが...  



by toshi-ohyama | 2021-10-18 06:54 | 幕張図書館 | Comments(0)
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